カテゴリー「本(海外)」の14件の記事

2009年10月14日 (水)

ジョン・スタインベック『エデンの東』

なんかノーベル賞の時期になる度、村上春樹の名前が出てきて、そのくせ受賞しないもんだから鬱陶しいことこの上ないんですが、今回は過去の受賞者からスタインベックを読んでみた話です。

エデンの東 新訳版 (1)  (ハヤカワepi文庫) エデンの東 新訳版 (2)  (ハヤカワepi文庫)

太田光さんがラジオで目一杯時間とって絶賛していたので読んでみたんですが、

いやもう格が違いますよ。

これがノーベル文学賞の水準だとしたら、村上春樹には無理です。

ワタシは太田光が嫌うほど村上春樹を嫌ってはいませんが、評価されすぎだとはさすがに思います。

むしろ海外で評価されるのは仕方ないとして、日本では評価しちゃいけないと思うのです。

漱石の逆ですな。そういう事があってもいいんじゃないかと。

さて、『エデンの東』ですが、

映画で有名な部分は第4部、最終章にあたります。

なので映画だけ観て「知ってる」ことにしないでください。

あとね、

いやもう、一辺読んでみてくれとしか言えませんよ。

すんげえんだ。

父と子の愛憎、兄弟の葛藤の話なんだけれども、果てはキリスト教の根源にまで話が及んで、田舎町の親子から欧米人の信仰とは何だったのかという壮大なスケールに発展するのです。

抽象的に言えば、「原罪」を背負い込まされたキリスト教徒が「選択」を「許される」までの話。

何のこっちゃわからないでしょうね。

ワタシも何を書いているのかわかりません。

太田さんがランキング紹介なのに、この本一冊に全ての時間を費やして紹介した理由がわかります。

だからとにかく読んでみてくださいよ。

欧米人がなんであんな考え方や行動をするのかがわかります。

聖書読むよりわかりやすいです。

それはたった一つの言葉の誤訳から始まっているのかも知れません。

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2009年3月 8日 (日)

ブコウスキー『ありきたりの狂気の物語』

私はベッドに戻った。私はただ死んでいくだけだった。誰も気にとめはしない。私でさえ気にとめていなかった。            
                          ――『ポピュラー・マン』より

ちょっと風邪ひいて寝込んだだけでそんなこと言い出す男、チャールズ・ヘンリー・ブコウスキー。

正しい生き方、理想、主義、価値観、美意識、世界中の誰が何と言おうと、「俺はちがう」と言い続ける男、チャールズ・ヘンリー・ブコウスキー。

そんな彼が大好きです。

ありきたりの狂気の物語 (新潮文庫) Book ありきたりの狂気の物語 (新潮文庫)

著者:チャールズ ブコウスキー
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

90年代に一度サブカルブームかなんかで流行ったそうですが、全然知りませんでした。

「今さら」松尾スズキさんがハマッているというので読んでみたのです。

ワタシもハマりました。

短編集です。

待ち時間に携帯電話を持ち出すなら、いい本を一冊持ち歩いた方が良い。必ずあなたのいい話し相手になるはずだ。と筒井康隆が何かで書いていましたが、だったらワタシはブコウスキーにしたい。

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2009年2月21日 (土)

ハーラン・エリスン『世界の中心で愛を叫んだけもの』

「タイトルがカッコイイから」っていうんで、庵野秀明がパクり、片山恭一の編集者がパクり、それらがまた妙に売れたもんでゴチャゴチャ言われることになったんですが、

これらの人、誰も本編は読んだことがなかったという点が面白い。

世界の中心で愛を叫んだけもの (ハヤカワ文庫 SF エ 4-1) Book 世界の中心で愛を叫んだけもの (ハヤカワ文庫 SF エ 4-1)

著者:ハーラン・エリスン
販売元:早川書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

本は表題作をはじめとした短編集で、浅倉久志・伊藤典夫という二人が分担して訳しています。

最初に載ってる『世界の~』は浅倉訳。途中、SF描写に入ったあたりからエリスンの特徴なんでしょうが、分かり難くなります。物語の最後までいくと、「おお、そういうことか」ってわかるんですが。

しかし第二編から本の半分ぐらいまでは伊藤訳になって、分かり難さが倍増します。

おそらくは古い訳文のせいなんでしょうが、首を傾げながら読まざるを得ません。

で、本の中盤からまた浅倉訳にもどり、終盤でまた伊藤訳にもどるので、やっぱ伊藤訳はちょっとおかしいなと結論してしまうのですが、

最後に収録されている『少年と犬』という一編は、訳文がどうこうというのを吹っ飛ばして面白い。

エリスンのまえがきには、

「そして何よりも『少年と犬』については書きたかった。とにかく、この小説はもう何というか……」

とありますが、ワタシも何と言っていいやらわかりません。

ただこの本は短編集とはいえ、最初から順に読んでいくのが良いと思います。

そういう意味では収録順も、収録作品も、二人の訳も含めて完成されていると思います。

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2008年5月 4日 (日)

ホールデン「僕にわかってることといえば、話に出てきた連中がいまここにいないのが寂しいということだけさ」

ああ、だからサリンジャーはこんな小説を書いたのかと。

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス) Book ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

著者:J.D.サリンジャー
販売元:白水社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

最初から最後までずっと主人公の一人語り、それも読者ではなくそばで聞いているらしい第三者に向かっての一人語り。

内容は学校を飛び出した経緯から家に帰るまでの3日間何をしていたかということなんだけれども、とにかく会う人会う人くさしまくるというそんな小説。

たまに褒めたりもするんですがね、褒める時でも皮肉っぽい口調でしか褒められないし。

けなすのは大人や社会に限らず同年代の友達まで馬鹿だインチキだ言ってるし。というか最初に友達からけなしだしてるし。

「あー、こんなヤツいたわ」とか思いながら読んでたんですけどね。

『エヴァンゲリオン』とか誰よりもハマってるくせに、他人に語るときはけなしながら褒めるややこしいヤツがいましたよね。決して手放しでは褒めないという。

まあ、エヴァはともかく、こういう時期は誰にでもあって、つまり世の中の偽善や欺瞞やなんやかやインチキなとこに気付いて、しかもインチキに気付いてるくせにその世界に順応してる大人達に子供ゆえの無垢性というか潔癖性から嫌悪感を抱くという、そのくせ上手くやるにはどうすればいいかということも大体わかってきてるという、いわば子供から大人になるときの通過儀礼みたいな時期に主人公はあるわけですが、

なんでこんな話を大の大人が書かなければならなかったんだろうと思ったわけですよ。

最初は主人公に共感もしましたが、あまりにも延々と何もかもくさしていくんで、だんだんイライラしてきましてね。

それは自分の「時期」のことを思い出すと同時にその「時期」を完全には過ぎていないことに気付くからこそなんでしょうが、じゃあ、作者はどうだったのだろうと。

この人は過ぎたからこそ書いてたんじゃないのか、それともまだその「時期」にあるからこそ書いていたのか。

むしろこの「時期」にこそ何か、人間の本質とか物事の真理とかを見出してたんだろうか、なんてことを考えてたわけです。

『フラニーとゾーイー』とかもやっぱこの「時期」の話しだし。

にしてもこの書き方は書いてて何が楽しいんだろう、と思うような書き方なんです。

二日目から三日目の前半なんてイライラしっぱなしでしたからね。

「まだ言ってんのかよ、コイツ」って感じで。

で、

最後に表題にした言葉になるわけですが、

「寂しさが本物の創作意欲を生む」

と、どっかの精神科医のコラムで読んだことがあります。

そういうことなのかなと、読後感は思いのほかスッキリしたものでした。

フラニーとゾーイー (新潮文庫) ナイン・ストーリーズ (新潮文庫) 大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章 (新潮文庫)

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX The Laughing Man DVD 攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX The Laughing Man

販売元:バンダイビジュアル
発売日:2005/09/23
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ところでそんなホールデンが三日目に妹に向かって言うわけですが、

「広いライ麦やなんかの畑があってさ、大勢の子供たちがゲームやなんかしてるんだ。それで僕は崖っぷちに立って、崖から落っこちそうになる子供がいたら、さっと飛び出してつかまえるんだ。ライ麦畑のつかまえ役。そういったものに僕はなりたいんだよ(不正確な引用)」

それで『ライ麦畑でつかまえて』か! と。

それで『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が『ライ麦畑でつかまえて』か! と。

なんでこういう邦題になったのか長年不思議だったんですが、やっと溜飲が下りました。

訳の雰囲気とあわせて、この題は見事だと思います。

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2008年4月26日 (土)

メフィスト「過ぎ去ったのも、何もなかったのも、要するに同じではないか」

そんな台詞が妙に印象に残った、ゲーテ『ファウスト』

『カラマーゾフの兄弟』の解説に、「ぜひ『ファウスト』も読んでみるとよろしい」とか書いてあったので読んでみたわけですが、

ファウスト〈第1部〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ) ファウスト〈第2部〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

山本容子の版画ってこんなんなの? というのは置いといて、

この池内紀訳は、数あるファウスト訳のなかでも画期的なことに散文体で書かれているとかで、他の一般に知られる『ファウスト』とはだいぶ違った、冒険的な試みをした本だったらしい。

原本は韻文で書かれているので、訳もなるべく韻文で詩的に訳すというのが定番だったらしいのです。

しかしながらこの訳者は、「文章構造のまったく異なる日本語で韻を踏んでも、かえって分かりにくくなるだけで、ゲーテの真意は伝わりにくいんじゃなかろうか」みたいなことを考えて、詩的な部分は他の本にまかせといて、今回は内容理解に重点を置いた訳にしよう、ということになったようです。

解説に書いてありました。ダジャレラッパーどもに聞かせてやりたいですね。

むしろその解説のほうが面白かったです。学者っぽくなくて。

本文も確かに分かりやすかったので、狙ったところは成功していると思いますが、ちょっと文章を軽くしすぎたような嫌いがあります。

それで「この話から詩的な部分を削ると、かえって面白くねえんじゃねえかな」と思って、第二部からは筑摩文庫で読んでみました。

ファウスト〈第一部〉 (岩波文庫) ファウスト〈第二部〉 (岩波文庫)

つってこれは岩波版なんですが、筑摩のアフィリエイトがなかったんです。

岩波からは林太郎時代の森鴎外が訳した版が緑帯(国内文学)として出てるらしいんですが、そっちもアフィリエイトがなかったので、↓は筑摩版です。

森鴎外全集<11> ファウスト  ちくま文庫 Book 森鴎外全集 <11> ファウスト ちくま文庫

著者:森 鴎外
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ついでに「最も品位が高い訳」と評判の手塚富雄訳も載せておきますが、なぜか第二部はありませんでした。

Book ファウスト 悲劇第一部

著者:手塚 富雄,ゲーテ
販売元:中央公論新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

で、これらはすべて韻文体なわけですが、分かりにくいけどもこっちの方が面白いんじゃないかと思います。

わかんないんならわかんないでいいじゃねえかと思うのです。

おおむねよくわかんないんだけど、ところどころは分かる、ぐらいの方が興味が沸くのです。

読む気が続くんです。

ワタシはこれが戯曲だったこともファウスト博士が実在したことも知らなかったんですが、昔の芝居がどんな風に進んでたかとかも創造できて、実に面白かったです。

戯曲は読みづらいからあんま好きじゃないんですがね。

そして中身は深い、欲望の最果てにあるのは悪魔でなく神の望みだったりするのか、といった感じ。

けれどもあんま深読みしない方がいいような気もします。

池内紀の解説にも「第二部は第一部と違って、いっきに深く難しくなるから、ゲーテ研究者達もエライところまで潜り込んじゃってて、解説読んでも泥沼に引き込まれてしまう」とかなんとか書いてました。

だからサラッと読み終えちゃった方がいいのかもしれません。

わかんないとこはわかんないままで。

そのうち他の本読んでたり、何か新しいことしてる時にでも、フッと思い出して分かる時がくるんじゃねえかなと。

くるといいなと。

そん時また読み返してみればいいじゃないかと。

そんなわけです。

ネオ・ファウスト (1) (手塚治虫漫画全集 (368)) ネオ・ファウスト (2) (手塚治虫漫画全集 (369)) DEATH NOTE デスノート(1)

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2008年4月16日 (水)

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』

「画期的な新訳!」とかなんとか特集されて本屋に並べてあったので、あえて図書館で借りてきて読みました。

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫) カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫) カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫) カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫) カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)

亀山郁夫という人の訳ですが、この人確かNHKの番組でも『カラマーゾフ』を語ってた人だと思います。

ついでに言えば太田光も第二部「大審問官」の将軍と犬と少年のくだりを、なんかの例えで引用して語ってたと思います。

そしてワタシは今までどの訳も読んだことがなかったので、どの辺が新しいのかはよくわかんないんですが、確かに別に「古典だから」という抵抗もなく読みやすかったです。

漢字と仮名のバランスが少し妙な気がしましたが、それもきっと工夫のひとつなんでしょう。

さて内容の話。

内容はもう、凄いですよ。

「ミステリー史上最高の作品」とか「人間の本質をえぐり出すように描く」とか色々な賛美が先人達によってなされているので今さらワタシが褒めるまでもないことですが、そら歴史に残るわと。

そら「金字塔」とか言われるわと。

ところでこんなふうに書評なんて書いてると、参考にするつもりでチラリと見た他人の書評の一文をまるで自分で思いついたかのように錯覚して気付いたらうっかりまんまパクっちゃってたなんてことがたまにあります。

その一文の出来が良ければ良いほど。

加護ちゃんの気持ちもわからなくはないのです。

ですが気をつけて書きましょう。

この小説の5巻(エピローグ別巻)の解題にモチューリスキーという、おそらくは過去の評論家の評文が一文載っています。

「カラマーゾフの登場人物は空気を吸って生きているのではない。酸素を吸って燃え上がっているのだ」(p.215)

なんという見事な書評。これ以上はないんじゃないでしょうか。

父殺しの犯人探しという、確かにミステリーな筋立ての話なんですが、描いているのはあくまで人間。

人間の内面。それも欺瞞、悪意、欲望、慢心、自尊心、老婆性、古狸性(太宰・人間失格)とかいった悪い感じの内面をまるでお嬢様のドレスを引き裂いて変なトコに生えてるホクロ毛を見つけるかのごとく描き出すのです。

それも本人だって知らなかったホクロ毛なのです。

しかもそのホクロ毛が殺人の動機になるのです。

「遊ぶ金欲しさに」とか、
「脅されてた」
「あの人と結婚するために邪魔になった」
「アイツが生きている限り私の人生に未来はないの!」
的なわかりやすい動機ではありません。

人間が自分の良心を裏切って人を殺すその瞬間の、もっとも深遠にある動機を暴き出すのです。

そういう文学性が犯人探しというエンターテイメント性を最高に面白くしているし、犯人探しというエンターテイメント性がこの分かりにくい文学性の理解を助けています。

純文学かエンターテイメントかなんて本当は分けてはいけないんだということを教えられました。

この『光文社古典新訳文庫』の巻末「刊行のことば」には、われわれが古典を敬遠するようになってしまったのは、権威化された教養主義への反発ではなかったか、それも勢いあまって否定しすぎたんじゃなかろうか、だとしたら残念なことだ、本当に面白いのは古典なのに。

みたいな事が書かれています。正確な引用ではありませんが。

『カラマーゾフ』も時代背景を見れば、帝政末期、それも検閲があった頃に書かれていて、一説には「父殺し」になぞらえて皇帝暗殺・革命をほのめかしているなどと言われているほど大変ロックな作品だということがわかります。

なるほど確かに古典は面白い。

今後の光文社を応援します。

カラマーゾフの兄弟 DVD カラマーゾフの兄弟

販売元:アイ・ヴィ・シー
発売日:2007/04/27
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これもちょっと観たい。

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2008年2月23日 (土)

プーシキン『スペードの女王』

ロシアのシェイクスピアと言われているとかいないとか。

スペードの女王・ベールキン物語 (岩波文庫) Book スペードの女王・ベールキン物語 (岩波文庫)

著者:プーシキン,神西 清
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

古典ではありますが、短編なので難しくはありません。

ロシア名がわんさか出てきて憶えられないなんてこともありません。

『スペードの女王』はちくりと効いた狂気を含む話ですが、

『ベールキン物語』は古典らしい清々しさを持った、読後感の気持ち良い話でした。

もちろん、両方たいへん面白うございました。

ただ、それはそれとして、

本の後半三分の一が解説です。

~年発行~版の解説、または訳者あとがきといったものが、つごう5篇も収録されています。

読んでられるか。

でもなんかもったいない気がするので、一応がんばってはみましたが、やはり似たようなことばかり書いてあるので、かったるくなってやめました。

作家でもある訳者が書いた一篇などは面白かったんですが、学者らしい人が書いたヤツなどは本当につまんなくて読んでられません。

文学を研究しているわりには、論文癖が抜けないせいか堅いし、目新しいことも特にないしで本当に読んでられません。

こういうのが正しい解釈として国語の試験に出たりするんでしょうか。

やはり本の感想なんてものは読者それぞれが受け取ったものが一番大事ですよね。

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2008年2月20日 (水)

ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』

「かっこいいタイトルだな」

「いつか読もう」

と、そのまま10年ぐらい手にとってなかったのですが、このほど図書館で借りて読んでみました。

ニーチェだったんですね。

そして哲学の本だったんですね。

まだ全部読めてません。三年ぐらいかかりそうです。

だからやっぱり買おうと思って、同じ筑摩書房の文庫を探したんですが、文庫の分際で高い。

上巻1100円、下巻1600円でした。

Book ニーチェ全集〈9〉ツァラトゥストラ 上 (ちくま学芸文庫)

著者:フリードリッヒ ニーチェ
販売元:筑摩書房
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Book ニーチェ全集〈10〉ツァラトゥストラ 下 (ちくま学芸文庫)

著者:フリードリッヒ ニーチェ
販売元:筑摩書房
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この訳はかなり分かりやすいと思うのですが、『ツァラトゥストラはかく語った』となっているのがちょっと、タイトルに惚れたワタシとしては納得いかない面もあります。

でもこれが岩波文庫だと、

ツァラトゥストラはこう言った 上 岩波文庫 青 639-2 Book ツァラトゥストラはこう言った 上 岩波文庫 青 639-2

著者:ニーチェ
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ツァラトゥストラはこう言った 下 岩波文庫 青693-3 Book ツァラトゥストラはこう言った 下 岩波文庫 青693-3

著者:ニーチェ
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

『こう言った』って。

たぶん中身は尚更分かりやすくなってるんだと思いますが、これじゃ難しい本読んでる気分が台無しです。

そして見つけたのがこれです。

ツァラトストラかく語りき 上 (1) (新潮文庫 ニ 1-1) Book ツァラトストラかく語りき 上 (1) (新潮文庫 ニ 1-1)

著者:ニーチェ
販売元:新潮社
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ツァラトストラかく語りき (下巻) (新潮文庫) Book ツァラトストラかく語りき (下巻) (新潮文庫)

著者:竹山 道雄,ニーチェ
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

現在出版されているツァラトゥストラではおそらく最古の訳でしょう。

「ゥ」も「は」も入れないあたりに気合が感じられます。

中身は当然のように文語体です。しかも漢字がすべて旧字体です。

ふりがなも打ってません。

これがまだ絶版になってないのがスゴイ。

そのかわり安い。

もちろん買ってきたのはコレです。

死ぬほど読み辛いです。

でも不思議なもので、何ページか読み進めるうちに何となく慣れてきます。

内容を理解できるかどうかはまた別の話ですが。

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2007年11月21日 (水)

J・D・サリンジャー『フラニーとゾーイー』

太田光が『タイタンの妖女』に続き、「人生を変えた本」として挙げた4冊のうちの二冊目、
『フラニーとゾーイー』

ちなみにあと二冊は、太宰治『晩年』と宮沢賢治『銀河鉄道の夜』です。

Book フラニーとゾーイー

著者:サリンジャー,野崎 孝
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

太田光の読書量とその視点からなる書評には一種盲目的な信頼を寄せているワタシなので、これらを片っ端から読んでみようと読んでみた二冊目なわけですが、

面白すぎる。

サリンジャーってすんげえ。

というのも、恥ずかしながらサリンジャーを読むのはこれが初めてだったわけで、『ライ麦畑』と「サリンジャー」という名前さえ知っていれば一般常識人として合格。ぐらいに思ってたわけで、別に読む必要まではないかなとか思ってたわけで。

まあまあ、それはいいや。

『フラニーとゾーイー』の話です。

思春期にはよくある無垢な潔癖性と盲目的な道徳性、つまり単純な理想主義みたいなものが、現実とぶつかり、うまい言い訳を思いつかないがために陥ってしまう自己卑下。

そういえばワタシにもそんな時期がありました。

今、そんな時期にある人には太田光がそうであったように、これを読んで答えを見出せるかもしれませんが、

「たとえ偽善でも善に似たものがないよりはマシだ」

とかレベルの低い答えを出して、その時期をやり過ごして来た人は小っ恥ずかしくなってしまうことでしょう。

物語はそんな自己卑下に陥ってしまって身動き取れなくなった妹フラニーを、すでに答えを出していた兄ゾーイーが徹底的に論破した挙句、最期には単純明快な答えでもって安らぎを与えるという話です。

この兄妹は天才なので、妹の卑下レベルも相当なものながら、兄の論述もぐうの音も出ないほどにハイレベルで、しかも「そこまで言わなくても……」と思うほどの皮肉を浴びせかけるのです。

そこが過去の自分に言われてるようで、また自分が過去の自分に言っているようで、SとMの両方の要素から、どうしようもなく気持ちいいんです。

ところでそんな二人の口喧嘩の中にやたら正確な仏教思想が入ってくるので、いや仏教もキリスト教も他の名だたる宗教も実は違いがないと言っているのですが、その論法が禅的で正しい解釈なので「著者は仏教徒なのかな?」と思ったんですが、調べてみると頑ななことで有名なユダヤ系アメリカ人だという。

へえ、頭のいい人ってのは上っ面ではカテゴライズ出来ないもんだな、藤原正彦とは大違いだなんて思ったんですが、『ライ麦』や他の短編が出版された頃はこの人の影響でヒッピーの間に禅や仏教が流行ったそうです。

「仏教徒なのか?」と単純に思ったワタシと同じく、受け止めた側の多くは上っ面しか受け切れなかったんでしょう。

「天才は孤独」という、またありきたりな言葉を思い出しましたが、現在のサリンジャー本人は外界との接触を極力避けた隠遁生活を送っているそうです。

とっくに死んでると思ってたんですが。

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス) 小説家を見つけたら 晩年 新編銀河鉄道の夜

それにしても、翻訳者の文学性は馬鹿に出来ないなと改めて感じた一冊でした。

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2007年11月20日 (火)

カート・ヴォネガット・ジュニア『タイタンの妖女』

風邪をひく時は鼻からでも咽喉からでもなく、頭痛からという厄介な体質のワタシであるため何もする気がおきないのですが、以前買っていた太田光が最も愛する本だというコレを読んでみました。

タイタンの妖女 (ハヤカワ文庫 SF 262) Book タイタンの妖女 (ハヤカワ文庫 SF 262)

著者:カート・ヴォネガット・ジュニア
販売元:早川書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

とはいえ、ワタシなんぞにはもう、評する言葉もない、途轍もない話なわけで、絶賛に値するのは確かですが、一体どう絶賛すれば良いものやら途方にくれてしまいます。

まあ、どういう話かというと、あるオッサンが火星に犬一匹連れて旅立つわけですが、その途中で時空の歪みみたいなものに捕まるんです。

その歪みは螺旋を描いていて、その螺旋に地球が重なる時だけ、地球に現れるようになるんです。

オッサンは歪みの中で未来を見て、地球に現れる度に予言をし、あたかも神の如く全知全能の力をもって、ある一人の男を利用し、その人生をしっちゃかめっちゃかにしてしまうのですが、そんなオッサンもまたあるものに利用されていて、しかもそのすべての目的が実に、そら恐ろしく、とんでもなく下らないものだったという話です。

ここでいう「すべて」とはオッサンが利用されて男を利用していたことだけでなく、人類が誕生してから男が利用されてるオッサンに利用されてタイタンに行く科学技術を手に入れるまでの進化を遂げたこと「すべて」を指します。

割かしふざけた文体で書かれたふざけた話ですが、もう最期は悲しくて仕様がありませんでした。

「こういう事も考えられるのだから、人生の目的なんて、意味もなければ必要もない」と言われてるような話です。

そういう事に悩んでる人なら楽になれるかもしれませんが、

今、頑張ってる人はヘコむかもしれません。

ワタシはそのどちらでもなく、どちらでもあるような変な状態なので、泣き笑いするような気分になりました。

妙な気分です。

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