カテゴリー「本(日本)」の48件の記事

2009年12月 3日 (木)

ナンシー関「子供に好かれなきゃ意味ないと思う」

「子供は感情で好きになるけど、大人のそれは分別だから」

というのがナンシー関のテレビ評というかお笑い評。ちょっとどの本に書いてあったか忘れちゃったので不正確な引用になってますが、たぶん欽ちゃんか志村けんか何かそんな人を評した時の言葉だったと思う。

ナンシー関 リターンズ Nancy Seki Returns ナンシー関の記憶スケッチアカデミー (角川文庫) ザ・ベリー・ベスト・オブ「ナンシー関の小耳にはさもう」100 (朝日文庫)

ナンシー関全ハンコ5147 何を根拠に (角川文庫) 小耳にはさもう (朝日文庫)

リリー・フランキー氏が、

「この世界(サブカルとかテレビ評論)でナンシー関を知らない奴は、よっぽど不勉強か、モグリだ」

というようなことを言っていて、名実共にモグリのワタシはマジで読んだことなかったので読んでみたのです。

いやあ、参りました。

そう、こういうことをやりたかったのですよ、このブログでは。

当然ながらこのレベルには到達していませんが、まるで教科書を手に入れたような心地です。

本の中で「タモリが死んだらどうするかな、私」というような一節があって、つまり「発生から見てきた人がちゃんと終わったところは見たことがないから」ということなんですが、もうちょい説明すると、人気なくなって消えたとかじゃなくて、松田優作みたいに夭折したとかいうんでもなくて、きちんと終焉を迎えたというのは、まだ自分の年齢的に見れてないと。

そう言ってたご本人が夭折してしまったわけで、今さらながら本当に惜しい限りです。

本当にタモリやたけしが死んだ時、この人なら何と言ったろうかと考えてしまいます。

この人の後を継いでるといえば……誰になるんでしょうね、立ち位置的にはあの、誰だっけ、『だめんずナントカ』のあの人っぽいんだけど、書いてることは普通すぎてねえ。

そう思うとむしろネットに溢れる数々の名もなきブログとか、2ちゃんとかニコニコとかが今一番サブカルらしいことをしてると思うんですがどうでしょう。

「才能の無駄使い」なんて言われる程にクオリティの高いものもあったり、著しくクオリティの低いものがあったりするのもむしろサブカルらしい。

そんな中から最近一番感激したのは、小説『恋空』

恋空〈上〉―切ナイ恋物語 恋空〈下〉―切ナイ恋物語

の、アマゾンでのレビュー。

おおむね褒めちぎってるんですが、行頭の一文字を縦に読んでいくと真逆の意味になるという、『いろは歌』並の高等テクニックを駆使して、検閲を潜り、横書きのケータイ小説を揶揄するという離れ技。

他にも「鍋敷きには役立つ」とか、あえて『忍空』と間違えてみたりするパターンもあります。

誰かがやり出したことに乗っかっていってるわけですが、途中からそっちの方が面白くなって重点が変わり、結果的に丁度いい風刺のスタンスになっちゃってるあたりがなんとも、プロではないがゆえの数の力というか、とにかく見事です。

風刺といえば風刺のプロである筈のやくみつるさんはどうしちゃったんでしょうね、最近。

風刺漫画家が正論ばっか吐いてどうする、と言いたくなりますが、本業の漫画の方の作風は変わってないようなので、「あえて流されてやってる」だけなのかも。

思えば亀田の親父に亀田みたいなカッコでケンカ売ったのは風刺漫画家らしいやり方でした。

でも世間はそう受け取らなかった。それが悲しい。

ウロコロリ―やくみつる的モノの見方 Book ウロコロリ―やくみつる的モノの見方

著者:やく みつる
販売元:岳陽舎
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2009年11月17日 (火)

「女は全身の肌で男を感じる。」

「男の指先に、欲望の匂いしかしなければ、どんなに男ぶりがよくても鳥肌が立つだけだ」

山本兼一『火天の城』からの一説。

そうかあ、同じ事をしても風俗嬢の反応がイマイチなのはそういうことだったか。

それはさておき。

火天の城 (文春文庫) Book 火天の城 (文春文庫)

著者:山本 兼一
販売元:文藝春秋
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安土城を建てた大工の話。

浅田次郎、宮部みゆき、夢枕獏が推して松本清張賞を取り、映画化までされた本ですが、ワタシとしては「そんなに面白いかなあ」って感じでした。

浅田次郎の選評には「歴史に敬意がある。人物描写が明晰かつ正確。知識が豊かで衒学的でない」とあり、その通りだと思うんですが、個人的な好みで言えばもっと不完全なゆらぎのある小説の方が好きなんです。

まるで無駄のない、計算されつくした小説には確かに圧倒されるものがありますが、しょっちゅう脱線したり、虚飾がくどいところがあったり、作者が明らかに感情的になってる部分が垣間見えたりする方がなんとなく人間味があって好きなんです。

主人公も模範的な職人気質の大工さんで、その息子は未熟ながらも城に関わるうち立派にになっていくんですが、人間味という点で物足りません。

娯楽活劇の作法といえばそれまでだけども、例えば「腕はいいけど人としてクズ」とか、『のぼうの城』みたいに「何もできないけど人望だけはある」とかいった主人公の方が、もっと深く人間性に突っ込めたんじゃないかと思うのです。

いい職人だからこその心の闇みたいなものも垣間見えなくはないんだけれども、いかんせん無駄がないつくりなもんで想像しにくい。

ちなみに映画では息子がいなくて親父さんにキャラが集約されてしまっていたり、色々違うみたいです。それをやると尚更安っぽくなるんじゃないかと思って、映画を観る気はなくな……いやその方がよくなってるのかもなあ……

まあいいです。

これはとにかく「エンターテイメントに徹する」ということにおいて現代基準ではお手本になるぐらいの完成度だとは思いますが、「徹すれば最後には文学性が高まる」のが本来の基準だと思うので、もう一歩いけたんじゃないかなと。

思う次第です。

それと重要なことをひとつ。

ワタシは本を読む時、傍らにメモを置いて、いい台詞や印象に残った一文を書き出しています。

特に何にもなりませんが、それで難しい表現や新しい価値観を消化できたような気になるのです。

『エデンの東』ではノートがいっぱいになりました。

今回は冒頭に挙げた一文だけでした。

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2009年9月 1日 (火)

ウワサの『のぼうの城』

おーもしろかった。

のぼうの城 Book のぼうの城

著者:和田 竜
販売元:小学館
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けどそんな話題になるほどでもないかなとか思ったり思わなかったり。

シナリオとして書かれたものを映画化前提で小説化したそうなので、映画になってこその作品なのかも知れません。

そっちを観たい。

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2009年8月30日 (日)

夏目漱石『永日小品』から『金』

「金はある部分から見ると、労力の記号だらう。所が其の労力が決して同種類のものぢゃないから、同じ金で代表さして、彼是(ひし)相通ずると、大変な間違いになる。例えば僕がここで一万噸の石炭を掘ったとするぜ。其の労力は器械的の労力に過ぎないんだから、之を金に代へたにした所が、其の金は同種類の器械的の労力と交換する資格がある丈ぢゃないか。然るに一度此の器械的の労力が金に変形するや否や、急に大自在の神通力を得て、道徳的の労力とどんどん引き換へになる。さうして、勝手次第に精神界が攪乱されて仕舞ふ。不都合極まる魔物ぢゃないか。だから色分(いろわけ)にして、少し其の分を知らしめなくっちゃ不可んよ」

これは夏目漱石の脳内友達、空谷子(くうこくし)のお言葉。

「劇烈な三面記事を、写真版にして引き伸ばした様な小説」を何冊か読んでたら、もうなんかうんざりしちゃって気晴らしに空谷子に会いに行ったら、こんな話をされた、という体で書かれています。

つまり、手っ取り早く金に成る様な代物に文芸はじめ、学問・芸術の世界が侵されていると。

それで金を色分けして、同じ額面でも赤い金はこっからここまで。青ならここまで、白ならこれだけ。みたいに用途を限定しちゃえば良いんじゃないかと。

具体的に考えると、肉体労働の対価は肉体労働による製品まで。本でも買うなら自分も頭脳労働で対価を得なければならないということになるわけで。

肉体労働者は贅沢なものを食えるが、本や映画、音楽などの知的財産権とかつく娯楽・芸術は楽しめないことになります。

逆に作家やアーティストは娯楽には事欠かないものの、まともに食うにはスターといえどバイトしなければなりません。

さすがは漱石先生、なんか社会主義より公平な気がします。

まあ、本物の芸術を生むには贋物も必要だとは思うんですが、つい贋物ばかりを掴まされてうんざりしているとこういう気にもなるもんです。

漱石先生は主に文芸の事を指しているようですが、しかしこれ例えば音楽だったらどうか。

CDは頭脳労働だが、ライブは肉体労働ではないか?

映画の興収は頭脳労働だが、出演料は肉体労働ではないか?

本で言えば、印税は頭脳労働の対価で、原稿料は肉体労働の対価になるんじゃないだろうか?

とか考え出したんですよ。というか実際そんな感じになってるんでしょうが、

これはつまり、著作権とはどうあるべきかという問題に関して、漱石先生はなんか凄いことを書き遺してくれたんじゃないかと思うのです。

といってワタシのなかでも上手くまとまってないのですが。

今後、著作権のあり方を考え直す会議やなんかがあるのなら、誰かにこの話をしていただきたい。

その時は上手いことまとめてね。

Book 文鳥・夢十夜・永日小品 (角川文庫クラシックス)

著者:夏目 漱石
販売元:角川書店
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2009年8月10日 (月)

東野圭吾『容疑者Xの献身』

我ながら意外にも東野作品を読んだのは初めてでした。

容疑者Xの献身 (文春文庫) Book 容疑者Xの献身 (文春文庫)

著者:東野 圭吾
販売元:文藝春秋
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なんかもう手を出す前にいっぱい映像化されてるから読んだ気になっちゃってたんですね。

本屋の並びを見ても知ってるタイトルばっかだし。

その中でまだ映画版を観てないタイトルを選んだ訳ですが、映画っぽい書き方をしてるのかと思ったらそうでもない。

割と正統派でした。

台詞の書き方はさすがにこのまま脚本に使えるんじゃないかと思わせるぐらい上手かったんで、そういうところを映像業界の方々に買われているのかも知れませんが、ト書きというかストーリーテリングの部分もクセが無くてアクが無くて無駄も無い簡潔な文章で、スーーッと入っていかせる見事なものでした。

さすがは当代随一の人気作家。

たまにウソみたいな酷い作品でもバカ売れしてしまうのが本に限らずメディアの宿命と言えますが、小説に関しては本物がちゃんと売れ続ける比較的恵まれたメディアだと思います。

やっぱ太宰とか昔の作品が一定して売れ続けているのがデカいんでしょうね。

映画とか音楽だと昔の名作はあんま注目されないし。

さて中身の話をしましょうか。

今さらだからいいですか。

では海堂尊の話をしましょうか。

この本の前に白鳥・田口シリーズを何冊か読んでまして。

で、気になったことを少し。

例の『バチスタ』はナントカ賞を全会一致で取ったとかで、本に選評が載ってたんですが、

「出てくる登場人物みんなキャラが立ってる」とか書かれてまして。

その通りだとは思うんですが、『ブラックペアン』や『螺鈿迷宮』とか語り部が田口でない作品を読んでみると気付いたのです。

確かに概ねキャラが立ってるんですが、語り部役だけはそうでもないと。

田口語りの場合は田口が特殊な診療科目を受け持っていることなどでキャラが立ってるように見えるんですが、『バチスタ』ではまだどういう風貌をした男かも書かれてないし、濃いキャラ達に内心突っ込む様もスベり気味です。

こういうのは最近の作家に割合多いようで、漫画やバラエティーでやるようなノリを小説で再現しようとするんですね。

それが成功してる場合もありますが、文章だから出せるユーモアというものを顧みていないのでやはりスベってることが多いです。

そういう部分が東野作品になかったからさすがと思ったのです。

なんせこっちは三人称語りですから。

思うに海堂尊も多分三人称で書いた方が作品の質に合うんじゃないでしょうか。

やはり語り部役の影が一番薄いというのはどうかと思うんです。

もし意図的にそうしているのなら三人称で書いた方がしっくり来るんじゃないかと。

今思えば田口の影が薄すぎたから映画で竹内結子になったりドラマで伊藤淳史になったりしてたのかもしれません。

違和感なかったし。

さて『容疑者X』ですが、

今さらだからあらすじは置いておきましょう。

つまり容疑者Xが献身するんです。

献身することで相手を幸せにしようとするんですが、相手は献身に感謝するものの、そのあまりの大きさに返って苦しむ羽目になります。

自分を犠牲にして献身したXは不幸な目に遭いますが返ってスッキリしちゃったりしてて。

前回書きましたが、親が命を捨てて子を救ったことが子の重荷になって苦しめてしまうような構図に似ています。

我々は結局自分の事しか見ていません。

「この目で見たもの」とは、瞳孔が焦点を絞り、脳が記憶と照らし合わせて解釈したものであって、自分の中にあるものを見ているに過ぎない。

親子・夫婦・友人・幽霊・ぬらりひょん・宇宙人等々、他人の存在は自分が認識してこそのものです。

そして自分の存在は他人にどう認識されていようと手が出せないものです。

本の最後の方にこうありました。

「人は時に、健気に生きているだけで、誰かを救っていることがある。」

『螺鈿迷宮』の方にはたしか、

「存在しているだけで人を傷つけてしまうこともある」

とか書いてありました。うろ覚えですが。

螺鈿迷宮 Book 螺鈿迷宮

著者:海堂 尊
販売元:角川書店
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2009年7月11日 (土)

ある女性「死ねないので――

――生きます。でも心配があります。お会いしてからの数年の間に先生は老いました。私から自殺を取り上げた先生が先に逝くのは理不尽です」

中日・東京新聞系の『こちら特報部』面『本音のコラム』という日替わりコラムに載っていた、斉藤学(さとる・精神科医)先生のコラムからの一文です。

コラム自体は老眼の話で、患者さんから貰った手紙を思い出すというのでこの一文が載せられていたわけですが、

いやもう、なんたる名文かと!

「極限のところで生きている人なので、言うことが手厳しい」

と斉藤先生も書いておられますが、いやもう、太宰かと思いましたよワタシは。

いや太宰というよりアレだと思い出したのが、

「死ぬなら楽に死ぬ、苦しむなら治る、どっちかにしてもらいたい。

苦しんだ上に死ぬなんて理屈に合わぬ」

と言った伊丹十三。

極限のところで生きている人は芸術の極みにも達しているのかも知れないと思った次第です。

ところでこの先生、以前にもこのコラムで「寂しさが本当の創作意欲を生む」とか、事の本質を見極めておられるようなことを度々仰っていまして、感心させられること頻り、中々ためになります。

精神科医として書いているという、立場がブレないのもいい。

このコラムの日替わりメンバーには他に派遣労働者ユニオンの人とか、日本で活動しているフランス人作家とか、「わかっている」感じのメンバーが多いんですが、中には耳が腐るような正論を吐く「わかっていない」人もいました。もう交代したようですが。

コラムや論説の人選は知名度なんかに振り回されずちゃんとやって欲しいもんですね。

「自分のために生きていける」ということ―寂しくて、退屈な人たちへ Book 「自分のために生きていける」ということ―寂しくて、退屈な人たちへ

著者:斎藤 学
販売元:大和書房
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「家族神話」があなたをしばる―元気になるための家族療法 (生活人新書) Book 「家族神話」があなたをしばる―元気になるための家族療法 (生活人新書)

著者:斎藤 学
販売元:日本放送出版協会
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インナーマザー―あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」 Book インナーマザー―あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

著者:斎藤 学
販売元:新講社
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毒になる親―一生苦しむ子供 (講談社プラスアルファ文庫) Book 毒になる親―一生苦しむ子供 (講談社プラスアルファ文庫)

著者:スーザン フォワード
販売元:講談社
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タイトルだけで充分なぐらいの著作群ですが、このコラムもいずれ書籍化して頂きたい。

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2009年4月13日 (月)

山崎豊子『沈まぬ太陽』

労働組合がまるごと共産主義者扱いされていた時代、日本航空労組委員長としてストやなんか色々やった為に委員長退任後、中東やらアフリカやらをたらい回しにされる懲罰人事にあい、やっと帰れたと思ったら例のジャンボ機墜落事故。

その事故後、経営体質刷新のための特別メンバーに選ばれるものの、また数々の妨害にあい、道半ばで挫折、再びアフリカへ――

という人生を送った実在の人物をモデルにした小説なわけですが、

沈まぬ太陽〈1〉アフリカ篇(上) (新潮文庫) 沈まぬ太陽〈2〉アフリカ篇(下) (新潮文庫) 沈まぬ太陽〈3〉御巣鷹山篇 (新潮文庫) 沈まぬ太陽〈4〉会長室篇(上) (新潮文庫) 沈まぬ太陽〈5〉会長室篇(下) (新潮文庫)

うーん、

なんだかねえ、面白いことは面白かったんですが、

作者の意図がどうも解りにくいところがあって、

正義感から批判をしたいのか、

物語としての面白さを追求したかったのか、

その両方であるにしても、どちらに重点がおかれているのか、判然とし難い。

膨大な取材をもとに再構築したフィクションではあるので、登場人物・団体名等はすべて架空のものになってはいるものの、時の政治家や役員や記者の名前なんかはほぼ誰のことか推察できてしまうし、

「自由党の暴れん坊『ハラコー』」とかね。

「日本航空」が「国民航空」になってたり、「瀬島龍三」が「龍崎一清」になってたり、名前のつけかたが安直でかえってややこしい。

そのくせ「ボーイング」は「ボーイング」のままだったり、『御巣鷹山篇』に出てくるご遺族や関係者等の名前は実名もあり、仮名もありといったことになっていて、

どうも結局どうしたいのかがぼやけてしまっている気がします。

いや、この名前のつけかたも皮肉なのかなとか勘繰ったわけで、そんなことさせられることが面倒臭かったんです。

批判したいなら実名と事実だけでノンフィクションにすればよかったのに。

ドラマ性を重視するなら、人物・団体・出来事を完全に再構築してフィクションにすればよかったのに。

取材対象に肩入れし過ぎたのかもしれませんね。

でもやっぱ小説だから人間ドラマらしくしないと、とか余計なこと考えて中途半端なことになったのかもしれません。

記者あがりの作家の特徴として、取材した事実を無視できなかったり、小説らしい体裁にこだわって半端に文学的な描写を入れるとかいったことがありますが、そういうのが悪くでちゃった感じです。

割り切って書けば良かったのになあ。

登場人物の人間性も紋切り型で、考察が浅いのも気になる。

政治家や官僚が単なる金の亡者で権力欲の権化になっちゃってるし、主人公の奥さんもひたすらけなげで慎ましやかで、物足りない。

こと奥さんに関してはもっと深く突っ込んで書けたんじゃないかと思うんですが、そこも事実描写を重視したために、勝手に心情慮るようなことは書けないという配慮があったんでしょう。

どうも残念な感じです。

『あとがき』で正義感からの批判をとっていたことが解るんですが、それも『まえがき』に書いとけよと。

考えすぎちゃったじゃないか。

原作は読んでませんが『白い巨塔』や『華麗なる一族』はドラマ性をとっていたはずなのでね。

虚実織り交ぜるこの手法は作者自身初めてだったそうで、初めて山崎豊子作品を読んだワタシなんかにすれば、ちょっとがっかりしたぐらいです。

電話で相手が言ったことを一々繰り返して読者に伝える手法には心底参りました。

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2009年3月13日 (金)

浅田次郎『壬生義士伝』

ドラマも映画も観ましたが、映画の方は「中井貴一かあ、中井貴一なあ……」と、決して悪くはなかったものの、やはりドラマ版の分量には敵わないだろうと結論したものでしたが、今回は原作のお話。

壬生義士伝 上   文春文庫 あ 39-2 壬生義士伝 下   文春文庫 あ 39-3

てっきり普通の時代小説然と三人称で進んでいくのかと思ったら、すべて誰かしらの独白で進んでいきます。

厳密には独白じゃないのかも知れませんが。

とにかく、大正時代になってから謎の記者か何かが新撰組の生き残りを一人一人訪ね歩いて、吉村貫一郎の話を聞いていく、という構成になってて、常に聞かれてる方だけが目の前にいるらしい記者に向かって一人で喋る、というわけです。

会話は成立してるようですが、記者側の台詞は書かれないわけで。

こういうのは本来、小説の面白さを左右するわけではない、テクニックの話なんですが、これが結構大事だなと感心したのですよ。

なにせ新撰組の話はやりつくされていて、創作と史実の違いまでウィキに載ってたりしてて、こういう話の場合、自分が期待した定番の創作を覆されてたり、自分が拘ってる史実を置き換えられてたりすると腹が立って入り込めなかったりするんですが、

この方式の場合、「それぞれが見た新撰組」の話なのだと割り切って読めます。

そら同じ史実でも立場が違えば見方も違うでしょうからね。

これは映画やドラマにない部分なので、読む意義を感じさせてくれて大変よかった。

ただ話の中身でいくと、純粋にエンターテイメントに徹しているがために返ってイマイチになってる部分もやっぱあって。

吉村が良い奴過ぎるとか。

吉村の感覚が現代的すぎるとか。

わかりやすいけども、もっと突き放してくれても良かったかなと。

そういう意味で作家らしい文学性というか、作家らしい視点というものの深さがイマイチ感じられなくて。

まあ些細なことですが。

些細ですが大事なことですが。

そういう意味ではむしろ、役者の感性が感じられるドラマや映画版の方が完成しているのかもしれません。

壬生義士伝 [DVD] 壬生義士伝 4枚組 [DVD] ドラマのおみつちゃんが泣かすんですよ。

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2009年1月 5日 (月)

城山三郎『一発屋大六』

相場小説といえば、

一発屋大六 (文春文庫) Book 一発屋大六 (文春文庫)

著者:城山 三郎
販売元:文藝春秋
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と声があがる前に獅子文六『大番』が先だろって感じなんですが、そちらの方は絶版でアマゾンでは 4,950円からのプレミア付きです。

なんで復刻されないんだろ。

それはともかく『一発屋大六』の話ですが、これ「おおろく」なのか「だいろく」なのか、いや人名なので多分「だいろく」だとは思いますが、ワタシの読んだ全集版では結局最期までふりがな振ってなかったのでわかりませんでした。

そういえば『大番』も「おおばん」なのか「だいばん」なのか、「大番頭」のことだと思うので……いや、「おおばんとう」「だいばんとう」どっちもありそうですね。でも時代からして「おおばんとう」だろうとは思いますが、とにかく古い本はこういう所に難しいものがあります。

とはいえ普通は間違ってるだろうとは思いつつ、とりあえず適当に読むもんですが、そのまま覚えてしまった場合、あとで正しい読み方を教わってもなんかしっくり来ない感じがして、間違ってるとは確信しつつ、自分の読み方のほうを通してしまうことがあります。

今日の「大発会(だいはっかい)」を「だいほっかい」とか。

読書家ほどこういう傾向は強いんじゃないでしょうか。

本は読んでもテレビは観ないとか、その分野の話し相手がいないとか。

時代小説好きなんかにはありそうな話です。

これが漫画好きだったらふりがなも一杯ふってあるし、絵が付いてるぶん、言葉のニュアンスも理解しやすいだろうから、むしろ読み違えは少なくなるんじゃないかと。

だからアイツ本当は漫画すら読んでないんじゃないかと。

たまたま息子か誰かから聞きかじったことを試しに言ってみたら、やたら反響があったからそのキャラで通すことにしたんじゃないかと。

だからね。

読み違え――即馬鹿だとは思いませんが、そういう大衆を馬鹿にして利用する胡散臭いトコがムカつくんですよ。

――

何の話でしたかね。

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2008年12月31日 (水)

村上春樹『国境の南、太陽の西』

ドイツ在住、ロルちゃんによると、この作品を評議したこの番組のこの事件で村上春樹はドイツで注目されるようになったとのことです。

何言ってるのかサッパリなので、ロルちゃんの解説も↓

ドイツでは有名な事件だったようですね。

ひょっとするとここから他のヨーロッパ諸国にも流行が流れたのかも。

肝心のこの本はまだ読んでないんですがね。

国境の南、太陽の西 (講談社文庫) Book 国境の南、太陽の西 (講談社文庫)

著者:村上 春樹
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

どうも村上春樹は、というか恋愛ものは敬遠しがちで、というか恋愛もので唯一読めるのが村上春樹ぐらいなもんなんですが、とにかく最近は読んでません。

ロルちゃんも他のビデオで言ってますが、年齢や状況や価値観の変化などで読める本、共感できる本、理解できる本、面白い本というのは変わってくるものなので、きっと今のワタシには必要とされない時期なんでしょう。

にしても大江健三郎は海外では結構読まれてるみたいですね。

だったら筒井康隆も読まれてそうなもんですが、あんま話には聞かない。

大江健三郎ってもう、何から読んでいいやらわっかんないんですよ。

Book 大江健三郎全作品

著者:大江 健三郎
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

\26,250 ですから。

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