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2009年8月30日 (日)

夏目漱石『永日小品』から『金』

「金はある部分から見ると、労力の記号だらう。所が其の労力が決して同種類のものぢゃないから、同じ金で代表さして、彼是(ひし)相通ずると、大変な間違いになる。例えば僕がここで一万噸の石炭を掘ったとするぜ。其の労力は器械的の労力に過ぎないんだから、之を金に代へたにした所が、其の金は同種類の器械的の労力と交換する資格がある丈ぢゃないか。然るに一度此の器械的の労力が金に変形するや否や、急に大自在の神通力を得て、道徳的の労力とどんどん引き換へになる。さうして、勝手次第に精神界が攪乱されて仕舞ふ。不都合極まる魔物ぢゃないか。だから色分(いろわけ)にして、少し其の分を知らしめなくっちゃ不可んよ」

これは夏目漱石の脳内友達、空谷子(くうこくし)のお言葉。

「劇烈な三面記事を、写真版にして引き伸ばした様な小説」を何冊か読んでたら、もうなんかうんざりしちゃって気晴らしに空谷子に会いに行ったら、こんな話をされた、という体で書かれています。

つまり、手っ取り早く金に成る様な代物に文芸はじめ、学問・芸術の世界が侵されていると。

それで金を色分けして、同じ額面でも赤い金はこっからここまで。青ならここまで、白ならこれだけ。みたいに用途を限定しちゃえば良いんじゃないかと。

具体的に考えると、肉体労働の対価は肉体労働による製品まで。本でも買うなら自分も頭脳労働で対価を得なければならないということになるわけで。

肉体労働者は贅沢なものを食えるが、本や映画、音楽などの知的財産権とかつく娯楽・芸術は楽しめないことになります。

逆に作家やアーティストは娯楽には事欠かないものの、まともに食うにはスターといえどバイトしなければなりません。

さすがは漱石先生、なんか社会主義より公平な気がします。

まあ、本物の芸術を生むには贋物も必要だとは思うんですが、つい贋物ばかりを掴まされてうんざりしているとこういう気にもなるもんです。

漱石先生は主に文芸の事を指しているようですが、しかしこれ例えば音楽だったらどうか。

CDは頭脳労働だが、ライブは肉体労働ではないか?

映画の興収は頭脳労働だが、出演料は肉体労働ではないか?

本で言えば、印税は頭脳労働の対価で、原稿料は肉体労働の対価になるんじゃないだろうか?

とか考え出したんですよ。というか実際そんな感じになってるんでしょうが、

これはつまり、著作権とはどうあるべきかという問題に関して、漱石先生はなんか凄いことを書き遺してくれたんじゃないかと思うのです。

といってワタシのなかでも上手くまとまってないのですが。

今後、著作権のあり方を考え直す会議やなんかがあるのなら、誰かにこの話をしていただきたい。

その時は上手いことまとめてね。

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日テレの『20世紀少年』

以前、第一章のテレビ用編集版を見た時はたいそうがっかりしたもんです。

あー、やっぱこんなもんなんだ。話題だけなんだ。映画館出たところでウキウキのコメントしてた人達はやっぱ嘘ついてたんだ。

と思ったもんです。

でもこないだやってたノーカット版にはびっくり。

確かに同じ映像なのに、断然面白かった。

良い意味で原作通りではなかったし。

ところがその翌週やってた第二章のテレビ編集版にはやっぱりがっかり。

時間が限られてるから仕方ないんだろうなとは思うのだけれど、あんなことになるのならやらない方が良かったんじゃないか。

堤監督も嘆いてるんでしょうが、無理難題を押し付けられたテレビ版の監督も嘆いてるんでしょう。

わざわざ自分の評価を下げるためにやったようなもんです。

テレビ版第一章を見てノーカット版を見る気は失せたんですが、ノーカット版を見ると次が見たくなった。

ところがテレビ版第二章を先に見てしまうとやっぱりDVDで見直す気にはなれなくて、第三章を見に行く気にもなれない。

これは商売としてどうなんでしょう。

逆を狙ったことは分っていますが、ワタシには逆効果でした。

動画サイトで徹底的に削除依頼したアニメより、野放しにしたアニメの方がDVDはよく売れたという調査もあるそうです。

論理的に正しいように見えても、意外と世間は逆に動く。

勘違いと思い込みのなんと多いことか。

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♪マッチでつけた煙草の火は……

……たった一度だけ花火の匂いがする♪

marimari[Indian Summer]より

ワタシは、

ライターのオイルが切れて、手近にあったマッチでしばらく煙草を吸っていると、何本かに一本はマッチをくわえてしまうことがあったりなかったり。

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2009年8月25日 (火)

健康の秘訣は?

と聞かれて、

「酒とタバコ」

と答えていた90歳のおじいちゃんを思い出す今日この頃。

よりによって民主党までがタバコ増税案を出していると聞いて耳を疑いました。

税収確保のためではなく、国民の健康維持のためタバコを吸わないように誘導するのが目的だそうな。

根拠は世界中そういう流れだから。

ファミコンみんな持ってるから、と同じ理屈です。

そもそも、

タバコが健康に悪いというのは、タバコを吸っている人の生活習慣が悪いということです。

不規則な生活、偏った食生活に運動不足といったことでセロトニンが足りてない人がタバコで補完しているのです。

だから止めるには生活習慣から変えなければなりません。

夜の仕事とかで変えられない人はタバコの代わりに抗鬱剤を飲まなければなりません。

逆に言えば、規則的な生活、バランスのとれた食事に適度な運動などで良い生活習慣を送っている人はタバコぐらいで滅多なことはないし、セロトニンが足りているのでいつでも止められるということになります。

前掲のおじいちゃんは農家でした。

農家でないワタシなどはどうしたらいいのか。

金持ちは1000円になっても吸うとか言ってましたが、金持ちでもないワタシなどはどうしたらいいのか。

タバコを吸わずに抗鬱剤を飲んでいれば健康だとでも言うのか。

その医療費はどっから出てくるんだ。

貧乏人から少ない楽しみ奪いやがって畜生。

いやちょっと取り乱しましたが、弱りましたよコレは。

幸福ナントカ党が当選しちゃうと困るんで今回は行くつもりでしたが、民主党に入れるのはなんだかムカッ腹が立ってどうかと思うようになってきました。

しかし自民に入れたってどうにもならないし。

どうにも出来ないだろうが一旦民主に政権を取らせれば、自民が抱えてたしがらみを打ち壊して、再び自民が返り咲いた時にやりやすくなるだろうと思ってたんですがね。

その後また民主が取り返しても、今回国の内情を正確に把握して自分達のしがらみを作っとけば次は上手く出来るだろうと思ってたんですがね。

ことタバコの話になると感情的になってしまうのです。

なんせ禁酒法のノリですからね。

いっそ共産党に入れて北のニセマイルドセブンでも輸入してもらおうかしら。

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つーか、そもそもなんで煙草に税金かかってんの?

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2009年8月24日 (月)

子供に悪影響

とか言うヤツが大っ嫌いです。

白熱した議論も一瞬にして白けるんですよね。

だったらコレのせいで人生狂わした元子供を連れて来いと、

みんな言いたいんでしょうが黙ってしまいます。

子供がらみのことに下手に反論すると悪者にされそうだから。

言う方はそれを分かって言ってるんでしょう。

主張の正当性を論理的に戦わせる場でコレを言っちゃうのは物凄く卑怯なことです。

名だたる論客達はコレを言われた瞬間、

「あ~あ言っちゃったよ、もう終わりだよ、こんなヤツに何言ったって通じねえよ、つーかそんな非論理的なこと言うオマエが悪影響だよ」という顔をします。

厄介なのは、根拠もないし証明も出来るはずないのは分かっているんだけども、

「悪影響があったらどうするんですか!」とか強く言われるとなんかありそうな気もしてくることです。

実際聴衆のおばちゃん達は頷いちゃうし。

確かに幼児期に虐待を受けた子供は、何かと難儀な大人になるとは言われています。

しかしそうならない人もいます。

というか、厄介な犯罪を起こした人の過去を辿っていくとたまに被虐待経験が見つかって、ああこういう事かと簡単に結びつけて理解した事にしてしまうのが観察者の悪癖。

とはいえ関係ないとも限らないし。

そのへんが難しいところです。

日本のエロマンガのレイプ表現を禁止しろとかいう勧告を国連関係の機関が決議したとかどうとかいうニュースを見て、こんなことを考え出したんですが、

確かにその手のものを見ると、正当化してる訳ではないものの助長してるような気はします。

でもエロ本がなかった頃より、エロ産業が栄え出して以降の方が性犯罪は減ったという統計もあるし、無修正はOKだけどレイプ物はダメという欧米諸国の方がレイプ事件は多いという統計もあります。

勿論、景気動向や思想、警察の能力等の変遷を考慮していないので、一概に因果関係があるとは言えませんが、またないとも言えない。

最近、盗撮や痴漢で逮捕される手口なんかを見ても、やり口から言えばその手のものの影響を受けてると言わざるを得ないものがあります。

「影響があってもやり口だけ」とも言えますが、「俺にも出来そう」と思わせている場合もなくはなさそうです。

「本当にやるかどうかは別問題」かも知れませんが、実際その辺はっきりしていないみたいだし。

結局、何もかもあやふやなんですよねえ。

「なんかありそう」「あってからでは遅い」ってだけで国家や国際機関が動いてしまっているところが何とも怖ろしい。

表現の自由から言えば、現実にあることをないように見せてしまう訳にはいかないんですが、報道のようにひとつの現実を頒布したせいで新たな現実をスパイラル的に起こしてしまうこともやはりあります。

自由を制限されるのは真っ平ですが、ワタシとしてはもう、不毛な論争を永久に続けるくらいなら一辺禁止してもいいからはっきりさせて欲しい。

その代わり禁止したことで社会がどう変わったか、或いは何も変わらなかったか完璧に因果関係を見出して、具体的にどういう影響がどの程度あったのかを徹底的に調査研究してはっきりさせて欲しいんです。

むしろ禁止する前にそれをやって欲しいんですが。

禁止した場合でも何ら効果がなかったとか、影響もごく微少、或いは因果関係がなかったとされたなら、即刻制限を撤廃して頂きたい。

日本の触手モノは世界が待ち望んでいるのですから。

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2009年8月23日 (日)

「ご列席の皆様が証人となります」

立て続けに結婚式に出たのでそんな話。

表題の台詞は近頃流行の「人前結婚式」というヤツで言われるヤツです。

無宗教、無神論者であったり、仏教徒だけどドレス着たいとか参列者にややこしい宗教の人がいるとかいう人が主に使う方式なんですが、

ワタシはこれが大っ嫌いなのです。

かえって新興宗教くさいから。

そもそも、

仏教では長年出家に妻帯が認められていなかったように、結婚を特別視していません。

教義として在家の結婚を扱う部分がないのです。

それに神仏混交とか本地垂迹とかなんとかで、原始宗教を排除せず上手いことやってきた歴史があるので、仏教徒がクリスマスを祝って初詣行って教会で式挙げて寺で弔うのは仏教の教義から言ってもおかしなことではありません。

カトリックの場合は他宗教を排除してるので問題になりますが、プロテスタントはその辺寛容に出来ています。教会や宗派の方針とキリストの教えとは異なるものです。

そしてそういう違いは出家の問題であって、在家にはあまり関係ありません。

ちなみに仏前・神前という方式は比較的最近のもので、坊さんが結婚する時の体裁上作られたものだったり、〝神"そのものであらせられた陛下・殿下が対外的に分り易い結婚をするために作られたものだったりします。

日本の伝統にこだわれば、白無垢で道中やって、相手の家で高砂の翁がどうとかこうとか歌うわけですが、住宅事情や参列者の都合上無理があったりします。

仏教とは異なり、「結婚とは神が介在した奇跡である」とするのはキリスト教もイスラム教も同じだったと思いますが、さすがにイスラム式は馴染みがなさすぎるので、やはりキリスト式が教義及び現代生活様式上一番合ってると思います。

つまり、

宗教にこだわりがないんだったら堂々とその辺の教会でキリストに誓えば良いと思うのです。

白無垢が良ければ道中をやって、相手の家の仏壇に手を合わせて、♪高砂の~といけば良いでしょう。

無神論であることにこだわりがあるなら、式は挙げずに披露宴だけやって好きなドレス着て祝福だけ受ければ充分だと思います。

結婚自体は生活上の必然ですが、何かに〝誓う"とか〝証を立てる"とか言い出すと、それ自体宗教的な行為なので、宗教性を帯びるのは免れ得ません。

仏教徒だから、日本人だから、無神論だからといって宗教の本質や民族の伝統もよくわかってないのに中途半端なことをしようとすると、かえって新興宗教くさくなるんです。

というか、そういう中途半端な連中が新興宗教をつくるんです。

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拝啓

には敬具。

前略には草々。

そんなことはどーでもいいんですが、手紙についての疑問をひとつ。

よく結婚式やバラエティー番組などで、

「普段言えないことを手紙にしてきました」

なんていう流れがよくありますが、まあそこまではいいでしょう。

疑問なのはその後、

「ご本人に読んでいただきましょう」

となること。

手紙ですよ?

気恥ずかしかったりして面と向かっては言えないから、わざわざ手紙にしたんですよ。

その場で朗読させられたんじゃ、面と向かって言ってるのと同じではないですか。

しかも公衆の面前。

これではただのスピーチ原稿ではないですか。

これは手紙なのだから渡すだけ渡して、後で読んでくださいってのが正しい流れでしょう。

その前提があって初めて相手にのみ伝えたいプライベートな本心を書けるってものでしょう。

公衆の面前で読まされるという前提では、相手だけではなく、ほぼ無関係な聴衆にも理解できるようにと意識せざるを得ません。

勿論その前提で皆了解して、プライベートな本心までは書かなくて良いという利点と引き換えに演出としてのスピーチをするのだと解すれば、ある程度納得は出来るのですが、

それならそれで、読み上げる役は司会なり新郎なり、別の人にして頂きたい。

本人に泣きながら棒読みされてもグッと来ないんですよ。

さもなくば、「新婦からご両親へ向けた〝スピーチ"です」と言って頂きたい。

〝手紙"と言われるから違和感があるのです。

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2009年8月19日 (水)

寝違えたようです。

しかし両側の筋が痛いので、歯軋りのせいかも知れません。

歯軋りというか、歯を食いしばって寝ていたのかも知れません。

たまにあるんです。

強烈なストレスのせいか、単に蒸し暑くて寝苦しかったせいかは分りません。

分りませんが、クーラーで解消するストレスだと思います。

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こういうものを付けて寝ると良いらしいんですが、

尚更ストレス受けそうで怖い。

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2009年8月10日 (月)

東野圭吾『容疑者Xの献身』

我ながら意外にも東野作品を読んだのは初めてでした。

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著者:東野 圭吾
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なんかもう手を出す前にいっぱい映像化されてるから読んだ気になっちゃってたんですね。

本屋の並びを見ても知ってるタイトルばっかだし。

その中でまだ映画版を観てないタイトルを選んだ訳ですが、映画っぽい書き方をしてるのかと思ったらそうでもない。

割と正統派でした。

台詞の書き方はさすがにこのまま脚本に使えるんじゃないかと思わせるぐらい上手かったんで、そういうところを映像業界の方々に買われているのかも知れませんが、ト書きというかストーリーテリングの部分もクセが無くてアクが無くて無駄も無い簡潔な文章で、スーーッと入っていかせる見事なものでした。

さすがは当代随一の人気作家。

たまにウソみたいな酷い作品でもバカ売れしてしまうのが本に限らずメディアの宿命と言えますが、小説に関しては本物がちゃんと売れ続ける比較的恵まれたメディアだと思います。

やっぱ太宰とか昔の作品が一定して売れ続けているのがデカいんでしょうね。

映画とか音楽だと昔の名作はあんま注目されないし。

さて中身の話をしましょうか。

今さらだからいいですか。

では海堂尊の話をしましょうか。

この本の前に白鳥・田口シリーズを何冊か読んでまして。

で、気になったことを少し。

例の『バチスタ』はナントカ賞を全会一致で取ったとかで、本に選評が載ってたんですが、

「出てくる登場人物みんなキャラが立ってる」とか書かれてまして。

その通りだとは思うんですが、『ブラックペアン』や『螺鈿迷宮』とか語り部が田口でない作品を読んでみると気付いたのです。

確かに概ねキャラが立ってるんですが、語り部役だけはそうでもないと。

田口語りの場合は田口が特殊な診療科目を受け持っていることなどでキャラが立ってるように見えるんですが、『バチスタ』ではまだどういう風貌をした男かも書かれてないし、濃いキャラ達に内心突っ込む様もスベり気味です。

こういうのは最近の作家に割合多いようで、漫画やバラエティーでやるようなノリを小説で再現しようとするんですね。

それが成功してる場合もありますが、文章だから出せるユーモアというものを顧みていないのでやはりスベってることが多いです。

そういう部分が東野作品になかったからさすがと思ったのです。

なんせこっちは三人称語りですから。

思うに海堂尊も多分三人称で書いた方が作品の質に合うんじゃないでしょうか。

やはり語り部役の影が一番薄いというのはどうかと思うんです。

もし意図的にそうしているのなら三人称で書いた方がしっくり来るんじゃないかと。

今思えば田口の影が薄すぎたから映画で竹内結子になったりドラマで伊藤淳史になったりしてたのかもしれません。

違和感なかったし。

さて『容疑者X』ですが、

今さらだからあらすじは置いておきましょう。

つまり容疑者Xが献身するんです。

献身することで相手を幸せにしようとするんですが、相手は献身に感謝するものの、そのあまりの大きさに返って苦しむ羽目になります。

自分を犠牲にして献身したXは不幸な目に遭いますが返ってスッキリしちゃったりしてて。

前回書きましたが、親が命を捨てて子を救ったことが子の重荷になって苦しめてしまうような構図に似ています。

我々は結局自分の事しか見ていません。

「この目で見たもの」とは、瞳孔が焦点を絞り、脳が記憶と照らし合わせて解釈したものであって、自分の中にあるものを見ているに過ぎない。

親子・夫婦・友人・幽霊・ぬらりひょん・宇宙人等々、他人の存在は自分が認識してこそのものです。

そして自分の存在は他人にどう認識されていようと手が出せないものです。

本の最後の方にこうありました。

「人は時に、健気に生きているだけで、誰かを救っていることがある。」

『螺鈿迷宮』の方にはたしか、

「存在しているだけで人を傷つけてしまうこともある」

とか書いてありました。うろ覚えですが。

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2009年8月 4日 (火)

『ダンディ・ダディ?』と『とらドラ!』

まず『ダンディ・ダディ?』

定番の親心と子供の気持ちモノ。

これといって目新しいところは無いものの、これといって悪いところも無い。

まあ、これもひとつの水戸黄門かなと思えば結構観れます。

きっとジジイも孫も楽しく観てることでしょう。

恋愛小説家をエロ作家と言ったり、ケータイ小説でも書けと言ったりするところなんかは案外的を得た批評に見えたりもして面白いし。

ただワタシとしては周りが親になっていく歳になったこともあり、少し考えることもあったりしたりで。

子供の頃は有り難いと思っていたけれども、親心ってなんだかんだいって自分勝手だよなとか。

例えば「いやもう元気でいてくれれば他には何も……」なんて新しい母親のインタビューで無欲ぶったことを言っているのをよく見ますが、

それも体の弱い子や先天疾患や障害をもった子には結構な重圧でしょう。

そんな子達は自分を責めるし、その母親達も自分を責める。

子供を心配する親が心配のあまり怒ってしまうのは自分の心配を解消したいからだそうです。

子供の為のようで実は自分の為であることはよくあります。

「親にとって子供はいつまでも子供なの」なんて親の無限の愛情のように聞こえますが、それも程度の差はあれ、依存してるってことなんでしょう。

良い話ではあるが、良いことではない。といって悪いともいえない。

大抵の親は子供が死に掛ければ自分が身代わりにと思うでしょうが、本当に身代わりにならなければならないとしたら、立派な人になんなくてもいいって言えるでしょうか。

いい人と結婚して子供をつくってささやかな幸せを手に入れてとか中々大変な要求をしてしまうんじゃないでしょうか。

愛情ではあるが、無償ではないと思います。

子供の方は親だってだけで頼ってくれるし、生き別れて何年も経ってても探し出してくれたりするし、無償の愛とは子供から親へのものであって、親から子へはどうしても見返りを求めざるを得ないのではないかと。

産み育てている代償に無償の愛を求めているのかもしれませんね。

そんな子供も時期が来れば反抗してでも自立しようとする。

子供からの愛情に依存してしまった親はそれを失いたくなくて止めようとするのかも。

結果押さえつけが度を越し、バットで殴って家出するとかしないと巣立てなくなるのかも。

何が言いたいのかと言うと、

家族とか親子とかっていう関係をあまり御大層に考えない方がいいと思うんです。

愛情とか信頼、義理、人情、守るとか守られるとか御大層な言葉がよく内包される関係ですが、ドライに突き詰めていけば依存だったり生物学的な要求だったりするわけで。

そこに親孝行とか社会的な要求をどんどん追加していってしまうと、がんじがらめの物凄く窮屈な関係になってしまうと思うのです。

『任侠ヘルパー』でも「年寄りほったらかしてる家族が悪い」みたいな台詞がありましたが、それはやっぱ酷ですよ。その辺今後描かれそうな雰囲気ですが。

本来なら太古の昔みたいに15歳ぐらいで13歳ぐらいの娘と結婚して自立っていうのが自然なんでしょうね。

ババアは山に捨てて。

捨てたくないから苦労してるんですが。

とにかく、いい加減家族や親子ってものを必要以上に美化してドラマにするのは止めた方がいいと思うのです。

本当にダメな親ってのも現実にはいますから。

その辺上手く描いてたのがアニメ『とらドラ!』

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泣けるラブコメとして世界的にも評判の高い作品ですが、ヒロインの娘は両親が離婚した後、父親に引き取られるものの、父親の新しい恋人と折り合いが付かず一人で出されてしまうのです。

生活費だけ振り込まれて。

そんなこともあって超やさぐれたキャラになってるんですが、この娘のツンデレっぷりが可愛いんですよ実に。

この娘のどうしようもない孤独を癒すため、周りの友人達が入り乱れて恋愛模様を展開するのがメインストーリーなんですが、その友人の協力というか、

「良い事だと思って」やってしまった半強制による父親との和解話があるんですが、

この親父、一見いい人そうに見えてやっぱダメで。

もう一度捨てちゃうんですよ。

これがもう……

この話がもう……切なくって。

やっぱり親は正しかった的なまとめ方をするのがドラマでは定番というか、もう規則みたいなもんなんですが、そうしなかったことが秀逸でした。

ドラマでもこのぐらいの挑戦はして欲しいし、こういうものから世の中の価値観てものが成長していくんじゃないかと思うのです。

なによりそういう作品が一番面白いんですよ。

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2009年8月 2日 (日)

例の……

MTB類型車でサイクリング中、ふと立ち寄った公園に大人用の鉄棒を見つけたのです。

大人用とはつまり、大車輪とかやる感じではなくて、懸垂するのに丁度良い高さの、まさに懸垂専用の鉄棒ということです。

横に正しい懸垂の仕方書いてあったし。

それで、おう久々にいっちょやったろうじゃねえかと一番高いのにぴょんと飛びついてぶら下がってみたんですが、

ぴくりともしない。いやできない。

正しいやり方通り、腕を完全に伸ばしてぶら下がった状態からでは全くもってぴくりともできませんでした。

ぶら下がった状態のまま否応なく過ぎていく時間。

遠くから観てた人にはただぶら下がって遊んでたように見えたでしょうが、ほんの少し近寄ってもらえれば、ぶら下がったまま、

「ふん! ふん!」

と定期的に気合の入ったワタシの掛け声が聞こえたことでしょう。

ええ、絶望感に打ちひしがれたままスタッと降りましたよ。

その時のさびしさったらもう。

その後気を取り直して隣の一段低い、立ったまま手の届く鉄棒に乗り換えまして、腕を弱冠曲げたトコからスタートするウソ懸垂を試みまして。

一旦上がった後も完全には下りないウソ懸垂ですが。

最初の一回足で地面を蹴ったウソ懸垂ですが。

5回という誇らしい記録を手に入れました。

その時のさびしさったらもう。

また例のMTB類型車に乗って帰る道すがら思いました。

もし、崖やビルから足を踏み外して縁を手で掴んで持ちこたえる状況に追い込まれたらどうしよう。

腕が伸びきる前に懸垂を開始して、即座に上がるか、或いは足にほんの少しでも取っ掛かりがあれば大丈夫かな。

でも上にいるのが底意地の悪いテロリストか連続殺人鬼だったらどうしよう。

たぶん片手は踏まれますよね。

そこにスタローンかセガールが現れて、テロリスト倒して、手を差し伸べてくれたとして、

片手を掴むとさすがのスタローンもきっと足を滑らせたかどうかして、滑り落ちてくるでしょう。

年だし。

そうするとどういう状況になるかというと、

片手で縁を掴むスタローン→もう一方の手を両手で掴むワタシ。

ということになりますよね。

この場合、人ひとり間に挟んでる分、ワタシの足に取っ掛かりは残されないでしょう。

スタローンが滑り落ちてきた勢いでワタシの腕は伸びきっているでしょう。

懸垂の結果から言って、この状態から助かる自信はない。

というかこの状態で離せ離すな頑張れもう少しだいやアナタだけでも的なやりとりをする自信も余裕もない。

相当あっさりイッちゃいますね。

そうかあ、つまんない死に方しちゃうなあと思いに耽った夏の日の夕……いやスタローンが悪いんじゃねえかな?

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♪こちら葛飾区・・・

・・・亀有公園前・・・・・・・・・派出所♪

この間がたまらない、たまらなく気持ち悪い、物凄くイヤです。

なんだってこんなクオリティの低い歌になってしまったんでしょう。

アニメの時は作品の中身はクオリティ低かったけど、歌は一応、所さんとかがやってて良かったのに。

この歌と、

真っ黄っ黄の衣装と、

またクオリティ低い合成とでもう面白くないのは爆裂的に確信してましたが、見事、まったく裏切ってはくれませんでした。

と言っても早い時間にワタシの限界が来てしまったので30分も観てないわけですが。

いやしかし少しは期待を持ってる序盤でダメだったら後でどんなに良くなったとしてもやっぱダメだろうと思うんですよね。

それにしてもマギーさん良くないなあ……

ジョビジョバのコントにはさんざん笑わしてもらったので、才能はある人だと思うんですが、これまで書いたドラマに一つも面白いのはありませんでした。

ドラマが向いてないってことなんでしょうね。

尺が決まってたり、スポンサーやなんかとのしがらみもあったり制約多そうなんで、才能はあっても結構高度なテクニックが必要になるんでしょう。

クドカンとか小劇団系の作家が成功した例があるんで、マギーもとは思いましたが、劇団系だから向いてるとも言えないようです。

鈴木おさむとか放送作家が書いたドラマも面白くなかったし。

ひょっとすると、ドラマ作家を育てるのが一番難しいのかもしれません。

だからつまんないドラマが多いのかも。

ドラマに比べると小説や映画の方がよっぽど自由にやってる気がするし。

考えてみると、

小説家の書いた脚本はト書きが多くて台詞が下手。

脚本家の書いた小説は台詞は上手いけどト書きが下手。

純文作家に推理モノとかは書けないし、娯楽作家の私小説ほどタルいモノはない。

とかよく言われます。

他にも、ドラマ作家やドラマ監督の作った映画は毎分取ろうとしてるようでイヤだし、その逆なら引張りが長すぎて観てられないとか色々あります。

相性いいのはアニメと漫画ぐらいでしょうか。

物語作家の才能というのは皆、根本的に同じものだろうとは思うんですが、技術的にどの媒体、どのジャンルに向いているかは結構大きな違いになるんじゃないでしょうか。

間違って向いてないモノを選んだりすると、或いは選ばされたりしてしまうと、不当な評価を得ることになったり、大事な才能を削る羽目になったりしてしまうんじゃないかと思います。

奇麗事では、

「向いてるかどうかなんて自分じゃわかんないでしょ!」とか、

「向いてないなら誰よりも努力しなさい!」ってことになるんでしょうが、

部活やヒラの仕事ぐらいならともかく、その道のトップレベルの領域では結構向き不向きを自分で知るってのは大事なことなんじゃないですかね。

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著者:秋本 治
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